近代から現代の住宅|公団住宅・nDKと建築家の作品

仕事と歴史

明治以降の日本の住宅は、洋風の取り入れ(戦前)から、公団住宅とnDK(戦後)へと変わりました。この記事では、住宅の変化の流れと、nDKが成立した経緯、日本の建築家と作品を整理します(確認日:2026年11月1日)。

このテーマのまとめ:日本の住まいの歴史を整理する

明治から戦前の住宅の変化

時期住宅の変化
明治西洋風の住宅が入ってくるが、一部の知識階級の住宅にとどまった
大正初期中廊下型の平面が成立した。和風住宅の延長として広まった
大正から戦前住宅改良や生活改善の動きのなかで、居間中心型(洋風の居間を平面の中心に置く)が広まった

中廊下型と居間中心型

  • 中廊下型:住宅の中央に廊下を通して、各室を結ぶ型。和風住宅の延長として広まった
  • 居間中心型:イス座の洋風の居間を、平面の中心に置く型。「洋風住宅」と呼ばれた。小住宅でも、独立した応接室を持つことが多く、玄関で靴を脱ぐ形だった

どちらも、戦前の都市の住宅にみられた型で、洋風の影響を受けています。戦後は、次に述べるnDK型へ移っていきます。

戦後の公団住宅とnDKの成立

戦後の住宅不足を背景に、狭い住宅でも合理的に暮らす工夫として、食寝分離(食事をする場所と、寝る場所を分けること)が重視されました。

年できごと
戦前から西山夘三が、合理的な住まい方には食寝分離が欠かせないと主張した
1951年台所を広げて食事の場にする考えから、ダイニングキッチン(DK)が取り入れられた(公営住宅の標準設計。「51C型」と呼ばれる間取り)
1955年日本住宅公団が設立された。戦後の住宅不足への対策で、大都市を中心に住宅を供給した
1960年代以降nDK・nLDKの間取りが、公団住宅から民間の住宅へ広がった

2DK・nDK・nLDKの意味

用語意味
食寝分離食事の場所と、寝る場所を分けること
DK(ダイニングキッチン)食事の場と台所を一体にした空間。椅子に座って食事をする暮らしにもつながった
2DK居室2部屋とDKの間取り。公団住宅の基本の型
nDK個室(n部屋)とDKの間取り。西山夘三の住宅研究にもとづくとされる
nLDK個室(n部屋)と、リビング・ダイニング・キッチンの間取り。「3LDK」のnは居室の数

nDKは、はじめは暮らし方を導く方法でしたが、のちに間取りの呼び名として広まりました。nLDKという言葉がいつ生まれたかは、はっきりしていません。

代表的な建築家と作品

日本の建築家と、その住宅作品の例です。作品名と年を、複数の資料で確認できたものを載せます。

建築家作品年特徴
清家清私の家1954年清家の自邸。ワンルームの空間に、障子・襖・畳・縁側などの伝統的な要素を取り入れた。床一面を石張りにし、土足の生活を取り入れた
篠原一男白の家1966年「住宅は芸術である」と唱えた篠原の、小住宅の代表作の一つ
安藤忠雄住吉の長屋1976年三軒長屋の中央の一軒を、鉄筋コンクリートの打ち放しで建てた。中央に中庭がある

数寄屋造の特徴は、寝殿造・書院造・数寄屋造の違いで整理しています。

西洋の運動・デザイナーと作品は、近代のデザイナーと代表作で扱っています。

試験での問われ方

近代から現代の住宅は、協会の審査基準で、日本のインテリアの歴史の分野にあたります。次のような形で知識を使います。

  • 公団住宅や食寝分離、DK、nDKの意味と、時代を結びつける
  • 建築家と作品の組み合わせを答える
  • 戦前の住宅(中廊下型・居間中心型)と戦後の住宅(nDK)を区別する

取り違えやすい点は、次のとおりです。

取り違えやすい点整理
DKの導入と、公団の設立DKの導入は1951年(公営住宅の標準設計)、日本住宅公団の設立は1955年
DKとLDKDKは食事の場と台所の一体、LDKはそこに居間(リビング)を加えた間取り
戦前と戦後の住宅中廊下型・居間中心型は戦前、nDK型は戦後
公団と公営の住宅1951年のDK導入(51C型)は、公営住宅の標準設計。日本住宅公団(1955年設立)は、大都市を中心に広域で住宅を供給した
建築家と作品清家清=私の家(1954年)、篠原一男=白の家(1966年)、安藤忠雄=住吉の長屋(1976年)

独学では、年や作品名を暗記しがちですが、「戦前は洋風の取り入れ、戦後は食寝分離とDK、その後はnLDK」の3つの流れで覚えると、順番が混ざりにくくなります。

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